フェアビューマウンテン(2744m)の一日


シャトーレイクルイーズホテル6階の部屋から眺める景色は飽きることがなく、ゆっくりと過ごしてしまい出発が遅れる。
カナダへ来て5日目、好天に恵まれ3つのトレイルを連続して歩くことができた。
雪が多いために、多少予定の変更はあったものの、先ずは順調に写真も撮れたことで少しはのんびりとした気持ちになっていた。今日はホテルから直接歩き始めるために車に拘束されることもなく、9時にホテルを出発する。
湖に向かって左のボートハウスの手前から、樹林帯の中に立派な歩道があり標識もはっきりしている。
ただ気になるのは、トレイルの入り口にある看板に人が通った後、全く同じ場所を2頭の大きな熊が通っている2枚の写真を、貼り付けたポスターがあり、注意を促していることである。
実際にもう2度も野生の熊を見ているだけに、緊張感がある。
カナダへ来る数日前、秋田では鳥海山でタケノコとりの人が熊に食い殺されるという事件があった。
鈴は役に立たないという説もあるが、高い熊除けスプレーを買う気にもなれず、緊張しながら歩く。
10分行ったところで分岐となり、展望台とサドルバックの方向に分かれるが、いずれ展望台からのシャトーレイクルイーズホテルの写真を撮りたいと考えていたために右に行く。
すぐ近くと思ったら、これが結構距離があり、急いだにもかかわらず20分もかかる。
写真は撮れたが40分のロスタイムとなった。

再び分岐に戻り、サドルバックへ向かう。薄暗い密集した針葉樹林の中、だれと会うこともなくただひたすら登る。
10時、明るく開けた場所で小休止。はるか下方向にシャトーレイクルイーズホテルが小さく見え、その後方にマウントへクターが聳え立っている。
その地点から10分ほど行くと分岐があった。右の急な登りのルートを選んだが、ほどなくして合流した。合流地点の周辺からラーチの林が多くなり、白や黄色の花が目に付くようになる。
サドルバックが近づくにつれ残雪が増える。雪の上に新しい靴跡があり先行者がいることを知る。数人で山頂に向かっているようである。下りの足跡は見えないからまだ上にいるものと思われた。他に人がいることで熊への恐れは消える。
サドルバックは左のサドルマウンテン、右のフェアビューマウンテン、さらにパラダイスバレーへの直進と十字路になっている。
右の山頂へのジグザグの急坂を登る。途中からかなり大きな雪渓に道を塞がれる。前の足跡を辿って行くとやがてルートを外れ、変なガラ場に出て落石に冷や汗を流す。
12時5分フェアビューマウンテン(2744m)の山頂に到着。山頂には4人の若い男性グループと一組の中年夫婦の6人がいた。風は強いが視界は良く、360度の展望が利く、すぐ手前にショル、ハドー、アバデーンの岩山がマウントビクトリアに連なり、左手にはパラダイスバレーを挟んでマウントテンプルが圧倒的な存在感を示し屹立している。
はるか彼方まで続くロッキーの連なりを眺めながら、しばし時間を忘れる。カナディアンロッキーだけで日本列島縦断する程の広さと長さがあるという。足下には小さくなったレイクルイーズのマリンブルーの湖水がトルコ石のように見える。40分もの間、2台のカメラを抱え右や左へ移動しながら写真を撮り回る。6人の登山者は私が着いて間もなく下山して行く。軽い昼食を済ませ、私も下山にかかる。
先程登ってきたガラ場のルートを避け、登山道を下るが、まもなく雪渓に阻まれる。
上部の急斜面はキックしながら慎重に下り、いくらか緩くなった所から靴セード(ピッケル無しのグリセード)で一気に下る。わずかの時間でサドルバックの下部のトレイルに合流する。

先に下った登山者が、まだ中腹のガラ場にいて、落石に苦労しているようである。
谷を挟んで対岸のレイクルイーズスキー場やマウントへクターを見ながら、快晴のラーチの林の中、花の写真を撮り、心も軽く下る。
針葉樹林帯に入って間もなく、薮の中に一匹の動物を発見する。最初ヒグマの小熊かと、ヒヤリとしたが、ふさふさとした長い剛毛が体中を覆い、動作が鈍い、自然の中で見るのは初めてであったが、ヤマアラシ(ポーキパイン)と直感する。
何かを食していたようだが、カメラを構えて近づいた私に気付き木登りを始めた。不勉強であるが私はカナダにヤマアラシがいることも、そのヤマアラシが木登りをすることも知らなかった。
全く未知の体験に少年の様に興奮して写真を撮る。後から4人の若者のグループが追いつき、一緒に忍び足で写真を撮っている。彼らも初めて見たようで喜んでいる。4人と前後して森の中を下る。熊への恐怖も消え楽しく下る。カナダの山はグループのトレッキングに向いているのかもしれないと思ったりする。
14時35分、レイクルイーズに到着、湖水の色が見事なブルーに変化している。観光バスがひっきりなしに行き交い、湖畔は観光客であふれていた。森の中の静かさとあまりの違いに、異次元の世界に来たような錯覚をする。
レイクルイーズホテルの6階、私のルームから真正面に窓一杯、ビクトリアピークと湖が入ってくる。
誠に贅沢なつくりのホテルである。
かつてマリリンモンローもケネディーも泊まったという、お気に入りのホテルだとガイドブックに書いてあったが、誰が泊まっても感動するホテルであろうと思う。
贅沢なベッドに大の字になって眠る。
荘司 昭夫
日本山岳会、日本ヒマラヤ協会、鳥海山の会会長、秋田県山岳連盟副会長、本庄山の会会長。アコンカグア、マッキンレー、キリマンジャロ、モンブランなど五大陸最高峰を中心に活動。地元の鳥海山には通年で1千回以上の登山経験がある。