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何度でも訪れたくなる愛すべきツェルマット

何度でも訪れたくなる愛すべきツェルマット

ツェルマット村が観光リゾートとしてのきっかけはやはりマッターホルンの存在でした。1865年ウィンパーにより初登頂され、一気にツェルマットは脚光を浴びました。世界広しといえども見る人を一瞬にして虜にする存在は他にはありません。今なおツェルマットは多くの可能性を持ちながら発展し続けています。ここでは人気の最新情報を紹介しながら再び訪ねたくなるその魅力を探ります。
文=滑田広志

マッターホルンの歴史を紐解くと、世界No1リゾートとしてのツェルマットの全貌が見えてくる

言葉を忘れる「奇跡の絶景」が広がるスキーリゾート

「スイス」という言葉を耳にしたとき、ほぼ同時に〝白いアルプス〟を思い浮かべ、岩峰が空に突き出すマッターホルンの姿が頭の中に広がるのではないでしょうか?登山鉄道で深い渓谷を抜け、山深い谷間に広がるツェルマットに到着すると、観光ポスターやお土産品、チョコレートのパッケージなどで目にしていた〝本物のマッターホルン〟に出会え、頭で描いていたイメージを越える迫力ある景観に感嘆し圧倒されます。周辺は4000m級の山岳地帯にありながら、まるで周辺の山々が引き立て役に見えるような孤高の巨人として威風堂々と聳えるマッターホルン。ただ天にまっすぐ伸びるだけではなく頂上直下でカクっと絶妙な角度で曲がり、より印象的な山容でまさに〝主役は俺!〟っといった風格です。 
ゴルナグラートへの登山鉄道に乗ると、ツェルマット駅を発車してすぐ右側の車窓には、狭い谷間に広がるツェルマットの村越しに、印象的な迫力のマッターホルンの見事な景観が展開します。ゴルナグラートやスネガ方面からは周辺の山々に囲まれたツェルマットの大パノラマ、また、標高3820mのマッターホルン・グレーシャー・パラダイスからは、すぐ目の前に巨大なピラミッドのような山塊、イタリア側チェルビニアからはイメージの違うゴジラのような岩塊、そしてマッターホルン間近のシュワルツゼーからは天を突く迫力の景観といった360度からそれぞれに違ったマッターホルンの姿が眺められるのも魅力の一つです。長い年月をかけて創造された自然の造形美でありながら、どこか計算されたかのような完璧な「奇跡の絶景」のおかげでツェルマットは観光リゾートとして世界中からスキーヤー、観光客が一年中訪れ、賑わっています。

アルプスの峠道はローマ時代から続く交易の重要な通行路

人類がこの地球上に誕生する以前から聳えるマッターホルンは、観光リゾート、ツェルマットをずっと見守ってきた歴史の証人でもあります。考古学調査で、テオドールパス付近から新石器時代のものと思われる石器類が発見されています。紀元前15年頃、ローマ人が現在のヴァリス地方を制圧し街道整備が進み、人々が移動し出した以前からケルト系の部族が住み、アルプスを越えて周辺の部族と交流があったとされています。とくにテオドールパスは、アクセスが簡単でイタリアへ抜ける道として、有名な大セントバーナード峠と同じような重要な街道でした。 
ツェルマットのあるヴァリス地方は、ローマ帝国時代が終焉すると、12世紀から13世紀にかけて、南西ドイツの方からベルナーオーバーランドを通ってゲルマン系の民族が移動し、自分たちの居住地を作っていきます。ヴァリスという現在の地方名にもなっているヴァルサー人たちが移住してきて、ヴァリスの特徴ともいえる文化を現代に伝承してきています。 現在は世界に誇る観光リゾート地となったツェルマットの村ですが、今も残されている「ねずみ返し」のある木造の穀倉庫がその当時の人々の暮らしをうかがわせています。

観光リゾート地への起点となったマッターホルン初登頂

最初にスイスを訪れたのは主に英国貴族で、16世紀頃からその歴史は始まります。当時はドイツ、フランス、イタリアなどが主要な旅行先で、目的地のイタリアへの途中に通らざるを得ない辺境の地であり、18世紀になっても山を鑑賞するというより、山には悪魔や魔物が住んでいると信じられている時代でした。18世紀半ばになると、美術界を中心に人間の力ではどうしようもない自然の驚異の中に美を見出す「崇高な自然」に対する美意識から、また一方で、スイス人の学者が自然、鉱物、地質などの調査などで各地を訪れて旅行記を発表し、徐々に人々が山の美しさに目を向ける時代に入っていきます。当時の観光資源は氷河で、次に滝、そしてアルピニズムが盛んになると、アルプスの景観美が認識され、スイス山岳観光の時代が幕を開けます。 
1786年のモンブラン初登頂以来、アルプスに注目が集まり、1800年代に入るとアルプスは開拓期から黄金期を迎え、初登頂の名声を得ようと、多くのアルピニストが集まってきます。ヴァリス地方の奥地に聳えるマッターホルンも、多くのアルピニストに知られることになりますが、その尖った頂から悪魔が住む難攻不落の山として存在していました。

マッターホルン初登頂の歴史に刻まれたドラマチックな物語

イギリスの挿絵画家エドワード・ウィンパーは、イギリスの山岳会からの要請でアルプスの挿絵を描くことを目的に、フランスのドーフィネ地方の山々、モンブラン山群、グランドジョラスなどを登り、その間にマッターホルンの登山ルートを調査し、7度挑戦します。8度目の1865年7月14日、ツェルマットのガイド、タウクワルダー親子、イギリスの盟友3人、シャモニーの名ガイド、ミッセル・クロの7名のメンバーで初登頂を果たします。ドラマはそれで終わらず、下山中に、ハドウー、ミッセル・クロ、ハドソン、ダグラス卿の4名が滑落し、ロープは、ダグラス卿と老タウクワルダーの間で切れ、最後尾にいたウィンパーとタウクワルダー親子の3名が助かったのでした。このときに切れたロープが、ツェルマット博物館に現在も保管されています。この登頂には有名な別のエピソードもあります。同じ時期にイタリア側から初登頂を目指したカレルたちイタリア隊が、3日遅れで頂上に到達します。マッターホルンの初登頂にまつわるドラマチックな物語は初登頂から150年が過ぎた今、そして、これからも語り続けられていくことでしょう。

「過去と未来」が混在するツェルマットの歴史の足跡を訪ねる

ツェルマットは地理的な関係もあり、村にガソリン車が入れず、交通手段は馬車、電気自動車のみになっており、かなり昔から環境を考えたインフラが進み、現在もより快適な観光リゾートへと変貌し続けています。ツェルマットの駅を出てホテル、カフェなどが並ぶ賑やかなメインストリートをマッターホルンに向かって進むと、村のシンボルでもある教会前の広々としたエリアに出ます。すぐ横のモンテローザホテルの外壁にはマッターホルン初登頂のウィンパーのレリーフが埋め込まれ、教会の手前、ガラスドームに覆われたマッターホルン博物館では、ウィンパーの初登頂のドラマチックな話や切れたロープの展示、ツェルマットの歴史などの様子を知ることができます。また、この教会横とホテルの間には共同墓地があり、マッターホルンで遭難したシャモニーの名ガイド、ミッセル・クロなどの登山家たちが眠っており、山岳に関したさまざまな道具の墓石が並んでいます。妙高市との姉妹都市記念の碑も近くにあります。少し奥まったエリアには、最初にこの地に住み着いたヴァルサー人の当時の生活様式の面影が偲ばれる有名な「ねずみ返し」と呼ばれる石の土台の穀倉庫群も見学できます。 
帰国後、ほとんどの写真にマッターホルンが入り、チーズフォンデュ、ラクレットをいただき、「過去と未来」が混在する不思議な魅力を思い出したならば「またいらっしゃ~い!」という声が聞こえてきそうです。

スキーの概念を覆した初めてのツェルマット滞在

私が初めてマッターホルンに出会ったのは今から27年前。人生で初めて夏スキーをするためにツェルマットを訪れた時です。そこで私はスキーの概念を覆されました。3歳からスキーを始め、スキー三昧の人生を送ってきた私にとって、それまでスキーはスポーツとしての楽しみでした。当たり前のように聞こえますが、そうではありません。世界にはスキーがスポーツの楽しみを越えて、景観、食文化、リゾートライフ、そこに集う人々が作り出す雰囲気など、ライフスタイル全般の楽しみだと実感する場所があるのだと気づかせてくれたのです。 
それは、圧倒的な存在感を誇るマッターホルンに向かって滑る特別感、大スケールのロングランスロープを行く爽快感、目にも舌にも素晴らしい五感を刺激するゲレンデでのランチなど、日本でのスキーしか知らなかった私にとっては異次元の体験。その素敵な時間を仲間と楽しそうに過ごす人たちを見て、私もそんな喜びを大切な人と共有したいと思いました。そして翌年、両親と共に冬のツェルマットでスキー休暇を過ごしたのです。ハイシーズンのツェルマットが、夏スキーのそれより格段に素晴らしいのは言うまでもありません。1週間滞在しても滑りきれないほどダイナミックでバラエティに富んだスキーエリア、スキーで国境を越え、一度にスイスとイタリアの食やショッピングを楽しむ贅沢、そしてもちろんマッターホルン。凛とした空気が稜線を際立たせ、雪化粧した冬のマッターホルンが格別な美しさを放つと感じるのは私だけではないでしょう。

黄金色に輝く秋、私にお気に入りのシーズン

ツェルマットでの家族スキーから時は流れ、すでに四半世紀以上。その間に数えきれないほどツェルマットを訪れました。とくに訪問回数が多いのは夏ですが、実は私が気に入っているシーズンは秋。黄葉で黄金色に輝く秋は、風景に暖色の華やかさを加え、魅力的な色彩のコントラストを生み出します。点在する山上湖に映る有名な逆さマッターホルンも、空気が澄んだこの時期はまた格別です。秋はハイキングコースも静かで、壮大な眺めを独り占めなんてことも。日常の喧騒から解放され、大自然とゆっくり対峙する時間は至福のひとときです。 
さらに実りの秋、収穫の季節の豊かな食体験も楽しみのひとつ。狩猟肉料理や、キノコ、栗など、旬の素材を使ったシーズン料理がメニューに並びます。季節限定の体験は、ちょっと贅沢な喜びを感じますね。 
どの季節に訪れても、スキーでも、ハイキングでも、すべての体験は一期一会。マッターホルンの表情もいつも同じではありません。だからこそ、私にとってそれは常にまだ見ぬ風景なのです。憧れのマッターホルン。その美しさが永遠である限り、私のドキドキは止むことなくいつまでも続くことでしょう。

愛すべきツェルマットで過ごす至福の時間


見た者を一瞬にして魅了するマッターホルン。ツェルマットでのスキーは雄大なスケール、変化のある素晴らしいコースパウダーなどの雪質のよさ、どのコースからも見えるあの三角形のマッターホルンの姿はいつまでも心に残ります。一度訪れると必ず再び訪問したくなるリピーターの多いエリアです。


①絶景ポイント、3103m展望台へ
ロートホルンブラウヘルト/スネガ

ツェルマットには大きく分けて3つのスキーエリアがあります。その1つ、スネガと呼ばれるこのエリアは、一番美しい形(東壁1:北壁1)のマッターホルンを見ることができる人気のスポット。そして、他のエリアより遅くまで太陽の光が当たる、日の長い場所です。絶景ポイントは2つ。フィスパ川沿いにある地下ケーブルで行くスネガのレストランテラス、そしてゴンドラとロープウェイを乗り継いで一気に登る3103mのロートホルン展望台。展望台のスイスとヴァリス州の旗の間からは数々の名峰とともに、マッター谷とマッターホルン、マッターホルン・グレーシャー・パラダイス、フルグザッテルスキーエリアのパノラマが広がります。ため息が出る絶景とはまさにこの場所! マッターホルンの勇姿を心ゆくまで撮ってください。スキーコースもバラエティに富んでおり、マッターホルンへ飛び込んで行くかのごとく滑ることができる11(Roteweg)、ロングコースを楽しむなら、15(Tufternkumme)と9(Tuftern)、急斜面の連続ロングコースなら、8(Obere National)がおすすめです。

②登山鉄道で訪れる絵葉書の世界
ゴルナーグラートリッフェルベルグ

人気番組『世界の車窓から』に何度も登場したゴルナーグラート鉄道の乗り場は、ツェルマットの駅前にあり気軽に利用できます。標高差1470mを直通、たった35分で駆け登り、私たちを3100mの世界へと連れて行ってくれます。この手軽さがスキーヤーに受け、朝早い列車はほとんど満員。展望台からは、天高く聳える東壁3、北壁1のマッターホルンが、眼下にはスイス№2の長さを誇るゴルナー氷河が、いくつもの小さな氷河を抱き込みながら横たわる雄大な風景が広がります。タイミングを合わせて登ってくる登山鉄道とマッターホルンをバックに、まるで絵葉書のような写真を撮ってみましょう。また、時間が許せば、クルムホテルにも足を伸ばしてください。マルチツールで有名なスイスのパイオニアメーカー、ビクトリノックスのショップには珍しい商品がいっぱいです。ランチは歴史あるホテル・リッフェルハウスで山岳郷土料理を味わうのもおすすめ。スキーだけでなくいろいろな楽しみ方ができるのがゴルナーグラートエリアです。スキーコースは、足慣らしにちょうど良い37(Riffelhorn)、ウェーブの連続がスリリングな35(Gifthittli)、フーリー谷までのロングコースなら、39、41、42(Schweigmatten)が外せません。

③国境越えスキーのスタート地点
マッターホルン・グレーシャー・パラダイス

ツェルマット滞在スキーの魅力の1つとしてイタリア・チェルビニア、あるいはヴァルトルナンシュへの国境越えスキー遠足があります。そのゲートウェイとなるのがマッターホルン・グレーシャー・パラダイス。ツェルマットの最奥、ヴィンケルマッテンからゴンドラ、ロープウェイを乗り継ぎ、たった1時間で富士山より高い3820m、われわれを想像絶する高所へと運んでくれます。ロープウェイを降りると一気に空気が薄くなるのが実感できます。深呼吸しながらゆっくりと長いトンネルを出口の光に向かって歩き、スキーのスタート地点へ移動します。途中、シネマラウンジではツェルマットの四季やエアーツェルマット、エクストリームスキーなど5つのショートムービーを見ることができます。また、エレベーター利用で360度パノラマが楽しめる3883mの展望台に上がることも可能、その上、オリジナル商品を扱うギフトショップまである充実ぶり。スキーヤーのみならず、このトンネルは時間を忘れて楽しめるエンターテイメントに満ち溢れています。来シーズンには従来のロープウェイの横に新しく20人乗り高速ゴンドラも運行開始予定です。待ち遠しいですね。

④黒い湖があるマッターホルン登山口
シュヴァルツゼー

このエリアは、湖畔に礼拝堂が佇む「黒い湖」として有名な場所です。冬場は、雪が湖を覆ってしまい、その美しさを楽しむことはできませんが、夏場は、毎日たくさんのハイカーや観光客で賑わいます。また、マッターホルンのベース基地、ヘルンリ小屋への出発点でもあるので、最終ゴンドラの夕暮れ時には、多くのクライマーが足早に登っていく姿をよく目にします。そんな状況を想像しながら、スキーシーズンには、湖とマッターホルン、そしてヘルンリ小屋を、位置関係など考えながら見てもらうのも悪くないのではないでしょうか。






⑤氷河エリアの中で抜群の雪質
トロッケナーシュテック

ヴィンケルマッテンからゴンドラに乗ること約30分、ツェルマットエリアの中でも抜群の雪質を誇る氷河エリア・トロッケナーシュテックに到着します。ここから、イタリアへ国境越えスキーに行くスキーヤーも多いのですが、このエリアでも滑り応えのあるスキーが可能です。太陽の光が燦々と降り注ぐ暖かな日には、あえて数㎞もあるTバーに乗り、周りの名峰や氷河、景色を楽しみながらゆっくりと登るのも、ヨーロッパスキーらしい過ごし方です。フルグザッテルのリフト脇の2本のショートコースも良いでしょう。時には山岳ガイドと一緒に、フルグザッテル山塊下の氷河オフピステエリアに挑戦してみるのもおすすめです。普段と一味違うスキーが体験できます。ゆっくり派、滑り派にかかわらず、一度は滑ってほしいおすすめコースは、フルグザッテル山頂から70(Shusspiste)を通り、フルグまでの緩・中・急斜面とバラエティに富んだロングコースです。途中、立ち止まって見る東壁のみのマッターホルンの姿も格別です。

⑥大迫力のスキーヤー専用の展望台
ホーテリー

ツェルマットには代表的な3つの展望台がありますが、スキーシーズンのみオープンし、スキーヤーだけが行くことを許されている場所が、ホーテリーエリア。ガントからロープウェイを利用して登っていきます。ゴルナーグラート展望台の上部に位置し、標高は3286mとゴルナーグラートより200m弱高くなっていますが、実際には、この差は数字以上に大きく、ここから見る名峰群、氷河群の迫力はゴルナーグラートとは比較にならないほど素晴らしい。必ず訪れてほしいスポットの1つです。大パノラマに感動した後はスキーでも感動してもらえるはず。28(WhiteHare)の開放感溢れる馬の背コースを滑り降り、細いコースを休憩しながら抜けて行くと今度は、前方の様子が見えない曲がりくねったスリリングなコースを、ブライトボーデンまで一気に滑り降りて行くコースです。途中で止まることなく一気に滑り降りたい私のお気に入りのコース。コース全体に陽の当たる午後から滑るのがおすすめです。

⑦最新エリアでマッターホルンに最接近
ヘルンリ

コースはシュヴァルツゼーからスタートし、これまでは平らな部分が長くて敬遠していた52(Stafelalp)を北壁仰望しながら滑走。マッター谷を滑っていくと昨シーズンにTバーに新設されたリフト乗り場から乗車。降り場はエリア内でマッターホルンに最も近づけるので、目の前に聳える大きなマッターホルンを堪能していただけます。雪質の良い中斜面、54(Hoernli)、そしてフーリーまで長い下山コースを直滑降も交えて楽しんでください。



⑧国境を越えてイタリア側のチェルビニア、ヴァルトルナンシュへは整備されたコースで楽々アクセス
チェルビニア ヴァルトルナンシュ

イタリア国境越えスキー遠足は、ツェルマットツアーにおいてメインイベントの1つ。チェルビニアへは、マッターホルン・グレーシャー・パラダイスからスタート。まずは夏でも滑走可能な氷河エリアを、スイスとイタリアの国境、テスタグリッジャ(イタリア側からのロープウェイ降り場)に向かって直滑降します。ツェルマット広しと言えどもマッターホルンに向かって直滑降できるのはこのコースだけ。スキーヤーの滑走ペースに応じて緩斜面コース、あるいは名門バーン、ベンティーナコースを選択してアクセスすることができます。チェルビニアへは天候が良い日に行くことが前提。スイス側では見ることのない深いイタリアンブルーの空の下、幅の広い緩斜面が続くロングコースをリラックスして滑走できるとお客様には大好評です。イタリア料理のランチもワインが進み、スキーバカンスを肌で感じられるエリアです。 
次の日には、チェルビニアの奥に位置するヴァルトルナンシュエリアに行きましょう。チェルビニアからもやや距離があるため、比較的空いていることが多いスキーエリアです。中心エリアには6人乗り高速リフトが設置されており、そのリフト脇でも4本のショートコースがある充実ぶり。ガイドの後を滑るのとはまったく違う次元の開放感&爽快感が味わえます。そして、ヴァルトルナンシュならではの押さえておきたいコースは、この6人乗り高速リフト降り場からスタートし、ヴァルトルナンシュの駐車場まで標高差1200mを滑り降りるロングコース。緩・中・急斜面、ウェーブ、林間、建物の間などコースレイアウトの楽しさとめまぐるしく移り動く周りの景色。何度滑っても飽きない最上級のコースです。



⑨標高4200mへひとっ飛び!大自然の驚異を目の当たりにするモンテローザのヘリスキー
標高4200mからモンテローザヒュッテヘ

ツェルマットでのもう1つの楽しみ方にヘリスキーがあります。数あるヘリスキーの中でも標高4634mのモンテローザのヘリスキーは格別です。村のヘリポートから、世界中から来たスキーヤーたちと山岳ガイドとともにヘリに乗り込み、モンテローザの氷河上、標高4200m付近に降り立ちます。そこは氷河の上、無駄に動き回れば200m以上の深さのクレパスへ吸い込まれてしまうという緊張感に包まれますが、その反面、スキーエリアではけっして見ることのできない壮大な白銀の世界が広がります。 
氷の塊が、巨大な柱や塔の形状を創り出す大自然の驚異を目の当たりにしながら、山岳ガイドがノートラックの安全ルートへと導いてくれます。三角錐のマッターホルンをはじめ4000m級のリスカムやブライトホルンの山容は、スキーエリアからの眺望とはまったく異なる大迫力で迫ります。 
途中の標高2883m地点には、山小屋とは思えないモダンな外観のモンテローザヒュッテがあり、ここでひと休み。水分補給とスキー談話に花を咲かせます。 
高所順応と体力に自信のあるスキーヤーはぜひご参加ください。1様約390スイスフランとショベル、プローブの装備が必要になります(最少3名のご予約で催行。ビーコン、ハーネスはガイドが用意します)。

「イタリアNO.1リゾート」アルタ・ヴァルテリーナ

スキー世界選手権、ワールドカップが開催されたイタリアNo.1スキーエリア

スイス、オーストリアの国境に近いアルタ・ヴァルテリーナは、ロンバルディア州の最北に位置する山岳地帯。3000m級の中央アルプスが立ち並びそのスケールはイタリア随一。ワールドカップや世界選手権が開催されており、そのコースレイアウトの豊富さや雪質・積雪量などには定評があります。ローマ時代からの歴史ある高級温泉リゾートでありながら、中・上級者向、さらにはエキスパートが満足するためにレイアウト開発されたスペシャルなスキーエリアです。日本ではあまり知られていませんでしたが、今回フェローでは皆様にその素晴らしさを体験していただきたく巻頭企画で大特集。アルタ・ヴァルテリーナは大きく分けて、1 ボルミオ2 リビーニョ3 サンタカタリーナ4 オーガ&イゾラッチャの4つのスキーエリアがあります。変化に富んだスキーエリアは、標高差1000mのボウル、グルーミング完璧な巨大一枚バーンと、オフピステ派から競技派まで楽しめる奥深さがあります。スキー上級者の間ではイタリアNo.1の人気を誇るアルタ・ヴァルテリーナでぜひ本格スキーを堪能してください。

滑りつくせない壮大な4つのエリアにスキーの本当の楽しさが凝縮するアルタ・ヴァルテリーナの魅惑


ボルミオ
ワールドカップ、スキー世界選手権の開催地イタリアを代表する最高のアルペンコースを滑る

ボルミオのメインのスキーエリアは、街を巡回しているスキーバスでロープウェイ乗り口まで約5分。ホテルの場所によっては徒歩でいくことも可能です。 ボルミオの特徴は、レース好きなイタリア人スキーヤーがかっ飛ばしたくなるような整地したスキーコースの横に、しっかりオフピステを残していること。しかし、オフピステに出る時には、地元の高山ガイドに案内してもらうのが得策です。どんな落とし穴があるかわかりませんから。さらに暖冬の雪不足であっても、ボルミオには雪がしっかりつけられていて、バーン整備もきちんとされています。
標高1225mのボルミオのベース地点からケーブル2本乗り継ぐと、そこはもう標高3000mの世界。チーマビアンカ(白い山頂)と言われる「ボルミオ3000」です。滑走可能距離は85㎞。2005年世界選手権を開催し、毎年ワールドカップを開催しているボルミオは、滑り応えのある中急斜面が多いですが、コース幅が広くロングクルーズでも楽しめる工夫がされています。 特にワールドカップの滑降コースは、山頂から一気に滑り降りて左右に大きくうねりながら麓まで滑ります。脚力に自信のある方はぜひ挑戦してください。滑りやすくついついスピードがでてしまいますが、中間地点の「ボルミオ2000」には子供用ゲレンデなどもあるので走行には充分注意してください。 また山頂では4000m級のピッツベルニナ、ステリヴィオ国立公園を望め、晴天時には360度の大パノラマを楽しむことができます。山頂エリアは森林限界を超えていて、そこから標高差約1800m&17㎞をノンストップ滑り降りられるコースレイアウトの醍醐味に感動です。標高差で言うと、チェルヴィニアの1500m以上で、実はヨーロッパでも最大級というビッグスケールなのです。
 ゲレンデと隣接する広大なオフピステは、しっかりと雪崩の管理がされていてオフピステを思う存分楽しむことができます。 ボルミオならではの情報として、ワールドカップが終わった後、開催バーンがそのまま開放されるので、世界最強の選手が滑った場所そのまま滑ることができます。ピステの堅さに四苦八苦して、トップ選手の凄さをリアルに体感でき舌を巻くことでしょう。 そして最後に、イタリアスキーの楽しみは、なんと行っても〝ゲレ食〟。郷土料理の代表、ピッツォケリ(そば粉で作った昔風タリアテッレパスタにキャベツやバター、溶かしたチーズを入れた料理)もスキーエリアで普通に楽しめます。これ最高です!

リビーニョ
広大なバーンと豪雪パウダーでスキー三昧そして休む間なく免税店で買い物

スキーエリアになぜこんなにデューティショッパーズ(免税店)が並んでいるのだろうか? と思う方も多いことと思います。前述したように、それには長いヨーロッパの歴史とその時代の統治権力者の思惑があったからです。
さて、この地域の名前の由来は、〝雪崩〟というもので、左右に斜面を有し、15㎞に及ぶ長い街並みは、過去に何度も雪崩に見舞われてきました。スイスやオーストリア方面からも、またイタリアからも峠越えをしなければ入れず、峠を越えてきた人々にとっては、この地はまるでオアシスのような安らぎを感じる場所として、集落が形成されてきました。
元々はボルミオの人々のために、ワインの樽作りを生業としており、物々交換で羊毛を提供していた小さな部落でしたが、現在は人口6000名と、ボルミオを追い越すほどの人口になりました。現在のリビーニョを支えているのは、もちろん観光産業。冬はスキーなどウィンタースポーツ、夏はハイキングを中心に、各種アクティビティを提供し、それに免税店でのショッピングが加味されます。外国からの観光客ばかりでなく、イタリア人にとっても免税で買い物ができる唯一のリゾートとあって、国内でも人気の地になっています。またスイスのエンガディン地方とは国境を接しているので、高級リゾート・サンモリッツに滞在している観光客が日帰りでやってくる観光スポットとして人気を博しています。スキーエリアとしては、リビーニョの街を挟んで、両方の斜面に広がっており、1日では回りきれないほど広大です。豪雪地帯でもあり、ふかふかのパウダーを楽しめるのも人気の秘密です。
上部に登ると、スイス側に4000m級のベルニナ山群を見渡せ、ヨーロッパアルプスの醍醐味を体感できます。メインゲレンデは、テレキャビンを2本乗り継いでいけるキャロセットエリア(標高3000m)です。リビーニョの街を見ながらの滑降は魅力的です。対岸のスキーエリア、モトリーノもリビーニョ側に下りるコースと、トレパッレへ下りるコースがあり、トレパッレのスノーパークではボーダーがジャンプしたりフリーライドを楽しんでいます。

サンタカタリーナ
完璧に整地されたバーンが続くレーサーの聖地で限界スピードに挑戦

ボルミオから奥に17㎞ほど入ると、サンタカタリーナの街に着きます。ここは、1990年代に活躍したアルペンスキーレーサーのデボラ・コンパニョーニの故郷で、彼女の家族が経営する4ツ星ホテル「バイタ・フィオリータ」があります。現在は、世界に知れ渡る服飾メーカー、ベネトンの御曹司と結婚してすっかりマダムになってしまいましたが、この地域で世界選手権など大きな大会があると必ず顔をだします。街の名士ですね。
サンタカタリーナの街はずれからロープウェイで一気に標高2700mへ。デボラ・コンパニョーニの名前のついたブラックコースが下までトレースしています。ここでは、週末ともなると地域のスキー大会が催され、次のデボラを目指して、地域のジュニアスキーヤー達が一生懸命トレーニングしています。

オーガ&イゾラッチャ
秘境の中の穴場林間コースを抜けて独占ツリーラン!

ボルミオの街から車で約15分、オーガの村に位置する穴場的スキーエリアがオーガ&イゾラッチャです。ボルミオの街を中心にしたヴァルディゾットとヴァルディ・デントロの谷間に囲まれたスキーエリアで、静寂な森林の中を滑る広めの林間コースが充実しているのが特徴です。
村からリフトで上がると、イゾラッチャ側にスキーで降りられるスキーエリアがあります。上部は斜面の向きが良いため標高2500m以上に雪質が良いと定評で、フェローのツアーではアルタ・ヴァルテリーナに到着した初日に案内することが多いです。標高も高くないため高山病の影響も出にくく、かつ雪質も良いですから足慣らしとしても最適です。山頂付近は広大なオープンスロープが広がっていて、変化に富んだレイアウトで飽きることなく滑ることができます。

滑りつくせない壮大な4つのエリアにスキーの本当の楽しさが凝縮するアルタ・ヴァルテリーナの魅惑


古代ローマ時代から続く温泉から世界最高のコースレイアウトを持つアルプス最後のスキー秘境アルタ・ヴァルテリーナ

アルタ・ヴァルテリーナの中心はボルミオになります。古代ロー時代から続く温泉保養地として、また4ツ星ホテルが建ち並ぶリゾートとして知られ、最近では知名度が上がり世界各国から集まってきています。滞在の基本もボルミオ市街で、バスを利用してバラエティ豊かなスキーエリアへアクセスできます。


特異な立地により秘境のスキーエリアとして残ってきた
ヨーロッパアルプスのスキーリゾートを片端から制覇してきた人も、ここ、アルタ・ヴァルテリーナを滑ったという人は少ないでしょう。大都会ミラノを中心に広がるロンバルディア地方のスキーエリアですが、意外にミラノからは遠く、雪のない時期なら峠を反対に越えていく、アルト・アディジェ地方のボルザーノに近いという特異な位置にあります。 秘境とも言える立地で、奥深い谷のこの地域は、それゆえ古代ローマ語という古典のラテン語に最も近い言語(Rezia)が生き残ってきました。この言語は、スイスの山岳地帯、グリゾン州のサンモリッツがあるエンガディン地方にも残り、また南チロルのアルト・アディジェ地方の一部にも残る特殊言語です。同地は雪に閉ざされ、昔から外界との接触がままならず独自の文化を育んできたわけです。


歴史ある石畳の街で開催されるワールドカップは雰囲気満
近代になって、スキーが観光資源の中枢を占めるようになり、リゾート開発が進む中でも、その伝統と独自の文化をしっかり残しているのがアルタ・ヴァルテリーナの良さです。伝統ある文化と古い街並みを守り続 けた歴史と、イタリアのアルペンスキー界の中心となるべく世界選手権やワールドカップなどの国際大会を開催してきた実績が、多くのスキー愛好家達にその名を知らしめることになりました。


4つのスキーエリアだけでなく足を伸ばせば有名スキーエリアが
日本ではあまり紹介されることのなかったアルタ・ヴァルテリーナ。メインのスキーエリアは、①ボルミオ、②リビーニョ、③サンタカテリーナ、④オーガ&イゾラッチャの4エリアですが、車でさらに足を伸ばせば、アプリカ、トナーレ、さらにマドンナ・ディ・カンピリオまで遠足することも可能なスキー天国です。 アルタ・ヴァルテリーナには同エリア共通のスキーパスがあり、3日以上有効パスだと、スキーエリアをつなぐバスが無料利用できますから、4つのエリアを滑り尽くす(簡単にはできないほどの広大なスキーエリアですが…)ツアーもお薦めです。


古代ローマ時代から続く温泉保養地としても有名
アルタ・ヴァルテリーナの中心であるボルミオは、古代ローマ時代から温泉が湧き、昔からの温泉保養地としても有名です。スキー産業の発展の中で、新しく建設されたスキーリゾートとはひと味もふた味異なる本物の魅力に溢れています。その魅力を探りながら、今回の旅のナビゲートを始めていきましょう。 バーニ(Bagni)あるいは、テルメ(terme)というイタリア語が付いたら要注意です。この文字があったら、そこは温泉リゾートなのです。日本でもスキー場に温泉がつきものですからスキーの後は温泉で疲れを癒すなんて当たり前です。そのため、よくヨーロッパへスキーにいらしたお客様から、ここに温泉があれば言うことないですね! というご意見を聞くことがあります。そう、実はここアルタ・ヴァルテリーナには温泉があるのです。ここボルミオには、まるで日本の温泉+スキー場のように、アフタースキーには温泉を楽しめます。ただし、こちらの温泉は、残念なことに、水着着用ですが…。 この地域の歴史をひもとくと、温泉好きなローマ人が見つける前から、ケルト人やらエトルリア人などが、この辺りに住みついていた形跡が認められます。やはり、こうした山の幸に恵まれ自然資源が豊富な地域は、いつの時代も人間にとって魅力的なのでしょう。


アルプスの要衝の地として独自の自治を統治してきた
現在の人口は4000人と小さな街ですが、ボルミオは昔から要衝の地にありました。現ドイツ地域を中心にした神聖ローマ帝国が形成されていた中世の時代、ローマなど南から神聖ローマ帝国へ通じる道筋であるボルミオはその当時の北と南のヨーロッパを結ぶ商業中継地として発展しました。中世の時代から、その時代の波に翻弄され、支配者が次から次へと変わっていきますが、アルプス越えの商業路として頻繁に往来のあったボルミオでは、住民が次第に自治を取り付けるほど権力を持つようになりました。いわゆる自由都市といった権限で、自分たちの土地を自分たちで守っていく体制が築かれていきました。


リビーニョの街は免税店で一年中観光客で賑わう
ボルミオよりももっと奥深いところにあるリビーニョが、昨今免税店で賑わっているのは、この時代からの伝統です。特にスイスとの国境を画し、時にはイタリアからのアクセスが閉ざされることもある土地柄で、自治を余儀なくされ、そこの住民達が潤えるシステムを作ることによってイタリアから離脱することを防ぐ意味合いがありました。ただ、全く税金がないというタックス・ヘブン(無税の国)ではなく、現在においてはイタリアが加盟しているヨーロッパ共同体の規定にある付加価値税が免除されるということで、観光客にとってはショッピングに最適な環境が築き上げられています。


まずはボルミオの街中にあるボルミオテルメで温泉を体験

中世の雰囲気が色濃く残るボルミオの旧市街から最も近くにある温泉が、ボルミオテルメ。日本的に言えば、共同浴場で子供から大人まで、一日中この施設でゆっくり楽しむことができます。イタリア人の家族スキーヤーが多いため、子供たちが楽しめるようにアクアランドのような遊戯施設も充実させ、温水プールのような感覚でアフタースキーを楽しんでいます。入場料は1時間12ユーロ、1日23ユーロ。この施設には、大人だけがゆったりリラクゼーションできる空間も用意されているので、日本の温泉感覚を味わいたいという方には、こちらがお薦めです(追加料金:7ユーロ)。


国立公園にある温泉は高級感溢れている

その他、車でステルビオ峠方面に3㎞ほど登っていくと、冬はそこまでしか行かれない行き止まりの場所にバーニ・ベッキ(古い温泉)があり、そのちょっと下にバーニ・ヌオービ(新しい温泉)があります。バーニ・ベッキは、ステルビオ国立公園の始まりの絶壁にそそり立つ石造りの趣ある温泉施設で、その周りには、時折長い角のアイベックスが顔をのぞかせたりします。 バーニ・ヌオービは、ネオクラシック調の大理石の建物内に、屋外屋内に趣向のこらした温泉があり、サウナやスチームバス、マッサージほか、各種トリートメントサービスなど充実した空間を提供しています。 この2つの温泉施設は、ホテルも併設しており、両方とも同じ会社の経営のため、どちらかに滞在すれば両方の温泉施設を楽しめ、いつでも無料でトランスファーサービスをしてくれます。ホテル滞在客ではなくても、温泉施設のみ利用することも可能です(16時半以降〜20時まで、入浴料:34ユーロ)。


高級ワインやリキュールとグルメがうなる食材の宝庫

温泉のほかに、アルタ・ヴァルテリーナは、昔から良質のワインが作られると評判の地域です。イタリアの高級ワインと言えば、バローロ。バローロを作り出すぶどうの種、高級ブドウのネヴィオーロを100%使って絞り出すワインは、バローロとアルタ・ヴァルテリーナのワインぐらいです。それだけにお値段も高いのですが、美味しさは保証です。その中でも、この地方独特の赤ワインがスフォルザート、あるいはスフルザートと呼ばれるもので90%以上のネヴィオーロ種を10%の水分までに凝縮させた極度に強いブドウの実から作るワインで、甘さのあるアルコール度の強いワインです。 食前酒、あるいは食後酒として愛飲されているほろ苦いリキュールの中に、アマーロ・ブラウリオという名前のものがありますが、ボルミオの古い街並みの中にこの工房がありました。ここペローニ蒸溜所は、1875年創業とその歴史は古く、元々はボルミオの薬剤師だったフランチェスコ・ペローニが、ブドウを蒸留して作るグラッパに各種の薬草や野生の実を加えることにより消化作用によいお酒を作り出したのがはじまりです。現在まで、その製法は変わらず、世界的にも有名なリキュールがこの小さな街ボルミオの出身とは驚きです。 ペローニ社では、この街中の蒸溜所で、ステルビオビールという地元ビールも製造しています。水のきれいな地域なら、お酒は何でも美味しいはず。皆さん、どうぞ試してみてください。ここの蒸溜所では、曜日を決めて蒸溜所内を一般公開しているので、アフタースキーの一時にぜひ立ち寄って見学してみてください。


美味しさにビックリ、ソバを使ったポルティーニのパスタ&郷土料理

イタリアの食文化は定評がありますが、ここアルタ・ヴァルテリーナにもブラゾーラと呼ばれる乾燥牛肉やポルティーニ茸など素材を生かした山の幸が盛りだくさん。 最近、ヨーロッパで大流行しているのがアグリツーリスモ。地元の特産物を味わうことができるレストラン、或いは本物の農家の暮らしを満喫できる宿泊施設などを利用して観光するツアーのこと。 ボルミオにもアグリツーリスモのレストランがあります。そこでは、こうしたアルタ・ヴァルテリーナのワインを飲みながら、各種郷土料理を味わうことができます。

「スキーヤーの夢と感動を満たすオーストリアスキーの聖地」アールベルグ

最新ゴンドラを駆使した絶景と出会う縦走スキーの魅力

オーストリア最大規模のアールベルグスキーエリアは、私も幾度となく訪れた思い出深い場所である。エッジの音が響き渡るサンアントンのガルチック・スキーエリア、アールベルグスキー学校とブンデススキーアカデミーのクラス分けの風景、昔からそこにあるTバー、夕方、凍結したコブ斜面になるハーネンカムコース……。サンアントン、サンクリストフの醸し出す雰囲気は、他のヨーロッパスキーエリアにはない緊張感が漂う。景観を楽しむのではなく、真剣に滑らなければ、という思いに駆られたものである。

〈レポート〉水澤史


最新ゴンドラでリンクし無限大に広がるロング縦走

久しぶりに訪れてみると、チロル州とファーアールベルグ州にまたがるこの広大なアールベルグスキーエリアを取り巻く風景は、ここでしか見ることができない絶景であることに改めて気づかされ、感動する。ここ数年、インフラの劇的な進化を遂げるサンアントンは、バスターミナル付近から東側へ、将来パツナウン渓谷へと繋がる計画のある南斜面のレンドルスキーエリアが広がる。 
今、アールベルグスキーエリアの注目すべきポイントは、ステューベン付近とツュールス山頂、そして反対側にあるオフピステの宝庫アルボナバーンとを最新ゴンドラ(フレクセンバーン)でリンクしたことである。従来ブンデスバスで、アールベルグ峠を越えてツュールス、レッヒにアクセスして、ホワイトリング(サークル状のルート)を楽しんでいたのだが、この最新ゴンドラのお陰で、サンアントンからロングスキー縦走が可能になっている。 
伝統を守り、次世代に脈々と受け継がれていく変わらぬもの、スキー王国の威信を賭けて進化し続けるもの。この両面を持ち併せているアールベルグスキーエリアは、間違いなくすべてのスキーヤーの夢と感激を満たしてくれるに違いないと、ここに改めて断言したい。

世界のスキーヤーの憧れエリア中心地サンアントン

オーストリア最大規模、世界でも5番目に大きな総面積を誇るアールベルグスキーエリア、その中心として多くのスキーヤーの憧れとして君臨し続けてきたのが、標高約1300mに位置するサンアントン。世界で最も古く伝統のあるアールベルグスキークラブは、有志6人で立ち上げたサンアントン屈指のスキークラブ。アルペンスキーの発展と友好を目的とし、オーストリアを代表する名だたるスキー教師やスキーエリア関係者が集い、最初のレースも開催されました。 
〝オーストリアスキー〟と言えば、誰もが〝アールベルグスキーエリア〟を思い浮かべるようになったのは、一般に広くスキーが伝わり始めた1920年代。近代スキーの祖ハンネス・シュナイダーによるアールベルグスキー術に始まり、1950年代からは、シュテファン・クルッケンハウザー教授、フランツ・ホピヒラー教授が確立してきたシュビンゲン(オーストリアスキー教程)によりさらに進化。1990年代~2000年のスキーオールラウンドという世界のスキーが1つになるムーブメントも、つねにオーストリアがリーダーシップを発揮し、技術的、理論的解釈、指導者レベルの高さをもって、他国の追随を許しませんでした。

急峻な山岳地形を安全に滑るためのスキー技術

急峻なチロル地方の山岳地形にあり、雪深いアールベルグ峠付近のサンクリストフ、ステューベン、カンダハーコースを隔てサンアントンへと続くこの地域一体を、安全に美しく滑走するためのスキー技術バインシュピールが、外向傾、外脚加重、脚部だけの運動を重視したウェーデルンを生み出したのです。 
降雪の翌朝、サンクリストフでは、スキー教師が曲げまわしの華麗なテクニックで腰までの新雪と奏でるハーモニーは、このエリアの一つの風物詩と言えるでしょう。バカンスというより生活、オーストリアが世界に誇るスキー産業への使命感が、このようなサンアントンの発展を牽引してきたように感じます。


スキー大国としての威信が造り上げた一大エリア

ヴァルーガ山頂(2811m)をはじめ、幾重にも折り重なる山並みは標高2000m前後と、中央アルプスのような氷河を頂く高山で構成されてはいません。しかし、氷河がゆっくりと流れて削った東側のアルプスの地形は、スキー滑走に最適な地形を造り出してくれたようです。 
アールベルグスキーエリアが、広大な一大スキーエリアとして世界に君臨しているのは、索道技術の高さ、アルペンスキーを熟知したレイアウトなど……スキーを愛する人々がその威信を掛けて、スキー本来が持つ雄大さと可能性を最大限に追求してきたからに違いないでしょう。




オーストリアが誇る最高級リゾート、レッヒ

クロスター渓谷の最奥地にひっそりと佇むレッヒの街並みは、ウィンターシーズンになると彩と華やかさを放ちます。ヨーロッパ中のセレブ、時には英国、アラブの王室までもがお忍びでスキーバカンスにやってくるほどです。他のアールベルグスキーエリアとは違った非日時的な雰囲気と針葉樹の林間コース、オープンスロープ、そして雄大なレッヒターラーアルペンの景観こそがこの地区の魅力です。オーバーレッヒ、ツュールスを周回するホワイトリングというスキー滑走ルートをじっくりと体験してみてください。






閑静なツュールスでは美しい景観を満喫したい

 滞在地としてみると小さいのですが、ホワイトリングの滑走起点として見るだけでは、もったいないほどに壮大な大斜面が点在するツュールス。サンアントン、サンクリストフとはまったく違う景観、静けさをじっくり楽しんでください。 
ひっそりと教会が佇むツック村がツュールスのさらに奥に位置しており、昔ながらの2人乗り連絡リフトは、これから姿を現わすレッヒ方面の景観に想いを馳せる時間をくれるのです。



大きく変化したアールベルグを訪ねて

今から数十年前、日本のスキー技術はオーストリア技術に傾倒していた時代でもありました。私も、その素晴らしいテクニックに傾倒していた中のひとりでした。
最近、サンアントンを中心としたアールベルグ地方とフォアアールベルグ地方が大きく変化しているという情報を得て、訪れることにしました。事前の資料によると、総距離305㎞、索道87。オーストリア最大規模であり、世界でも5本の指に入るビッグなスケールと書かれています。
サンアントンに着くやいなや、見たこともない遊園地にあるような高速ゴンドラに遭遇。そして道路をはさんで対面の山「レンドル」にも、新ゴンドラが完成、このエリアの変化は目を見張るものがあります。
しかしさらに大きく変化していたのは、サンアントンからレッヒまで、スキーをしながら1周できる周遊コースができたことです。イタリア・ドロミテのセラロンダの一周コースは有名ですが、今まで分断されていた谷が新しいゴンドラで繋がり、まさにオーストリア最大規模に発展したのです。 新しいゴンドラの完成で、サンアントン地区は、高峰ヴァルーガ展望台を中心としたエリアとオーストリアスキーの総本山、サンクリフトフエリア。そしてレッヒを中心にした周遊コースという2つを楽しめることになったのです。
スキーヤーなら、ぜひ一度、スケールアップしたアルペンスキーの発祥地を訪ねてみてはいかがでしょうか。



アールベルグエリアのタウン・インフォメーション

サンアントンで素晴らしいスキー・ナイトショーを堪能

3月15日の夜は、日本ではお目にかかったことのないCGをフルに使ったスキーのナイトショーを楽しみました。アールベルグで発祥したスキーの歴史、身体に電飾をつけたスキーヤーたちの滑走、エアリアル、花火、ドローンやハングライダーを使った映像、スキースクール2校による素晴らしい演技などなど盛りたくさんの演出を堪能。とくにゲレンデ一面に映し出されたCGは圧巻で、観客は大いに沸いていました





レッヒの世界的に有名な名門「シトローツ」を訪ねる

英国王室も訪れる高級リゾート地、レッヒ。ここに店を構えるスキーブーツの名門「シトローツ」。さすがスキーブーツのロールスロイスを呼ばれるだけあり、高級デパートのような趣の店構え。扉を開けると、店内には昔の革製ブーツの製作シーンや製作ルームも紹介されています。ここで、一人一人の足型に合わせたオーダーメイドのスキーブーツを作成をしてくれるのです。



アールベルグエリアを紹介するDVD映像を制作中

弊社が毎年制作する世界のスキーエリアの映像。本年はオーストリアのアールベルグエリアです。撮影を担当してくれたのは、例年と同じくアルパインクライマーであり、山岳カメラマンの平出和也氏。平出氏は、平成28年度の「植村直己冒険賞」を受賞しました。快晴の中、素晴らしい映像を撮影することができましたので、7月末の完成をお楽しみください。







サンアントンのスキー・郷土博物館

アルペンスキー発祥地としての歴史、スキー用具の進化が手に取るようにわかります。1階はレストラン、2階が展示場です。野沢温泉スキー場と姉妹都市を結んでいますが、今回はその関係の展示はなく、「アルペンスキーの父」、ハンネス・シュナイダー関係の資料や、アールベルグトンネル工事の資料が多く、少し残念でした。





便利なバスをフルに利用したい

アールベルグスキーエリアを楽しむには、安くて便利なバスを利用すると、スキーも観光も快適に楽しむことができます。黄色のバスは「サンアントン~オーバーレッヒ間」で定期バス(有料)。青色のバスは途中の「ツュールス~レッヒ間」の循環バスで、本数も多く、無料で乗車できるのでおすすめです。



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