南米レポート

 南米レポート
2012年09月06日  南米スキー&マチュピチュの旅2012




南米スキー&マチュピチュの旅
やはり長時間、価格をかけても訪れる価値が絶対にある「南米スキーの旅」だと提供者として強く思います。第一に規模、コースのバリエーション、南半球最大なのと滑り応えのあるコースが1週間の滞在でも全てを滑走するには無理です。第二にとして5千メートル級の織り成す「アンデス山脈」の景観です。滞在地自体が標高が高いので、ヨーロッパアルプスのように高く感じないのだがそれよりも実際は高いのです。
朝焼けと夕景はほぼ晴天なら毎日見ることができます。時にはコンドルが悠々と飛んでいることもあります。そして第三は、サンチャゴ、クスコそしてマチュピチュ遺跡の散策ではないでしょうか?
世界遺産として名高いマチュピチュはテレビ、写真で見るのと実際に見るのとでは迫力が違います!
今回、滞在中に、現地スキー場、ホテルの経営責任者たちとも受け入れ態勢について協議してきました。来年以降はもっと一人でも多くのスキーヤーに南米スキー&マチュピチュの旅を提供して参りたい次第です。
是非ともご期待下さい。
そして参加者の皆様、長旅本当にお疲れ様でした!
画像1:ゲレンデ近くにオフピステが点在する
画像2:アンデスの夕景は夕食前のひと時の楽しみ
画像3:マチュピチュ遺跡は最もインカを感じる地


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2012年09月06日  南米スキー&マチュピチュの旅2012




南米スキーの旅、番外編を紹介します。
14日間の南米スキー&マチュピチュの旅を紹介してきましたが、アメリカ経由、カナダ経由の航路が通常です。今回はアメリカ南部のアトランタ空港経由となったので乗り継ぎの間の観光スポットを紹介します。

アトランタといえばまずは、南北戦争の舞台となった場所、綿花のプランテーション農家で繰り広げらる南部の女性「スカーレットオハラ」がその時代に生き抜いたターラ(アトランタ周辺の地)が有名です。「風と共に去りぬ」の作家「マーガレットミッチェル」の家や奴隷制度の開放を訴えた「マルティン・ルーサーキング牧師」の居住区、教会、そしてワールドコカコーラなどを短時間でタクシーを仕立てて有志だけのミニ観光を楽しみました。
オリンピックも開催しただけあり、今は南部の中心であり、観光、ビジネスの拠点です。
長い路線も要所にミニ観光を楽しむことで長旅のアクセントになるものです。

画像1:作家マーガレットミッチェルが過ごした家
画像2:キング牧師の教会
画像3:ワールドコカコーラ

エスコート:水澤 史

2012年09月06日  南米スキー&マチュピチュの旅2012




9月2日(日)曇り気温22度
南米スキー&マチュピチュの旅の最終日はクスコ滞在です。
南米スキーの旅、最終日はインカ帝国の拠点であったクスコ散策をしました。標高3400mの高地に誕生したインカ帝国が繁栄からスペイン支配によって衰退するまでを垣間見ることができました。私達が訪れたマチュピチュ遺跡が第9代パチャクテイ皇帝によって勢力を拡大し、続く皇帝達がアンデス山脈を北はコロンビアから南はチリまでアンデス山脈一帯を支配していた全盛期、このクスコはインカ誕生は勿論、1530年頃から次第にスペインのペルー総督となったフランシスコ・ピサロによる時のインカ皇帝の生け捕り、そして幽閉しながら、その実権を握り最終的には殺してしまうことでインカ帝国は滅亡の道を辿ることになってしまったのです。

それにインカ皇帝のアタワルタがインカ群を総動員して立て篭もったのがこの「サクサイワマン遺跡」である。クスコの街を見下ろす高台に位置するこの広大な遺跡に圧倒されると同時に約500年のインカ帝国の歴史に幕を閉じることをツアー参加者が実感されたようです。

それからは南米独立の雄「サンマルティン将軍」がペルー建国までスペイン植民地としてクスコが繁栄したのです。インカの高い石加工技術の土台(かつてはインカ皇帝の宮殿等)を利用して、その上にカトリックの象徴である教会を立ててスペイン統治を進めて行ったようです。

参加者の声としてあまりにも「マチュピチュ&ワイナピチュ登山」が印象が強く、クスコ滞在は歴史的には理解できるのだが、インパクトがマチュピチュに適わないとのこと!それだけ第9代皇帝「パクチャク帝」が強い影響力があったのでしょうか?
観光後はペルー料理の夕食を楽しんでリマへと移動となりました。

ペルーの首都、リマではスペイン統治の旧市街地や太平洋を眺める新市街地の「恋人岬公園」、遠くの十字架がライトアップする海岸線など経済発展するペルーの中心リマを最後の訪問地として楽しみました。

それ以降は番外編をアップします。

画像1:クスコの市外地をアレマス広場周辺から
画像2:インカが誇る石加工技術の象徴12画の石
画像3:リマの海外線から眺める十字架のライトアップ
エスコート:水澤 史



私達が訪れたサントドミンゴ教会・協会修道院(コリカンチャ)、コンパーニャーデ・ヘスス(イエズス会)、カテドラル等はまさにスペイン統治がインカ文明の上に建てられてたそのものです。サクサイワマン遺跡の破壊された石を使用したと言われています。

2012年09月04日  南米スキー&マチュピチュの旅2012




9月1日(日)
前回に引き続いてマチュピチュの様子を少しご紹介します。
スペイン人の入植する前から築かれたクスコにいる皇帝の別邸と考えられていた「マチュピチュ」は確かに
標高も2400Mとクスコより低く、湿気もあり外敵の進入も防ぐには好都合な要塞に思えてきます。
それでいて生活の基盤となる自給自足、周辺の将軍からの謙譲物、そして教育、祭事など崇拝と現実感の科学的、天文学的要素がとても興味深いです。
参加者の方々もかなり事前に下調べしているようでした。今回は第9代パチャクテイから第14代までの栄枯盛衰をクスコまでの移動で感じる旅なのです。

画像1:マチュピチュの中心への門
画像2:コンドルの神殿にある石造
画像3:車窓から眺める氷河を頂くベロニカ山群
エスコート:水澤 史






2012年09月03日  南米スキー&マチュピチュの旅2012




8月31日(土)今日はいよいよ、待望のマチュピチュ遺跡散策とワイナピチュ(若い峰)の登頂の日です。出発前にメンバー全員がワイナピチュに登頂したいという意気込みでした。

朝5時起きして朝食後6時30分のシャトルバスで約30分、ジクザクのハイラムビンガムロードを登りエントランスへ到着。17名ですが遺跡入り口の手続きもスムースでストックがない人は杖を借りて出発。
途中に遺跡に目が行くのを一気にワイナピチュ入り口へ7時50分に無事に到着し、入山記帳後すぐに登り始める。早い組、中間、スローペースとしんがりを渡辺一樹さんにお願いして、急な断崖絶壁を2800Mまで2400Mのマチュピチュからひたすら登る。
軍事目的につくられただけあり、一歩足を踏み外せば谷底に落ちてしまうインカ階段をインカの人々は毎日登っていたのだろうか?
メンバー全員が励まし合いながら、渡辺一樹さんのフォローもありなんと無事に全員が登頂成功。
正直、私は全員無理だと思っていましたので途中で引き返す組との調整を考えていましたが、途中まで戻ってみると全員最終パートに登頂していました。
そこからの雄大な6000M級のサルカンタイや5000級のベロニカそしてマチュピチュ遺跡を真下に見下ろす景観は、登った人だけの特権です。
下山後はインカ皇帝「パチャクテイ」がつくった壮大な「マチュピチュ遺跡」をゆったりと見学しました。
農耕技術、石施工の技術、天文、勉学などインカ帝国の最も繁栄していた時期紀元1400年代の様子をじっくりと参加者全員で満喫しました。
皆さん、ワイナピチュ登頂で遺跡散策で相当歩いたことだと思います。本当にお疲れ様でした。
画像1:ワイナピチュよりマチュピチュ遺跡を見る
画像2:ワイナピチュ登頂の様子
画像3:登頂した満足な様子

エスコート:水澤 史



2012年09月03日  南米スキーマチュピチュ




8月30日(金)〜9月1日(日)スキー後の様子

みなさんこんにちはBUENOS DIAS!
南米スキーもまだまだいろいろと素晴らしいスキーをご紹介したいのですが、最後の番外編で紹介します。
今回は、チリからペルーへ移動して今回のハイライトである世界遺産マチュピチュを存分に楽しんで様子を紹介します。
クスコ空港から陸路で「インカの聖なる谷」を下り、遠くに5000M〜6000Mの氷河を頂くペルーアンデス山脈を見ながらの魅惑のマチュピチュへ。

オリャイタイ将軍でゆかりのオリャイタンタンボ駅からビスタドーム号で約1時間30分でマチュピチュビレッジ駅へ到着。途中の車窓から見るウルバンバ河の渓谷と氷河を頂く「ベロニカ山群」の眺望が素晴らしいです。

到着後に行くマチュピチュビレッジ広場にはマチュピチュを建設させたというインカ皇帝の雄「第9代パチャクテイ皇帝」の像がマチュピチュへの期待を誘います。このあたりでみなさんつい先日までの南米スキーからまったく違う世界へ意識変革です!

画像1:ウルバンバ渓谷を走るビスタドーム
画像2:第9代将軍、パチャクテイ
画像3:小学校の壁に描かれたマチュピチュ
エスコート:水澤 史

2012年09月01日  南米




エルコロラード&ファルジョーネス
バジェネバドに隣接する最もおもしろいコースと最も古い南米チリスキー発祥の地でエンジョイスキー。
午前中はコース中心に安全ゆっくり滑走。しかし、午後はとにかく急斜面、オフピステを滑り倒し体力、気力ともに充実したアグレッシブなスキーを楽しみました。参加者全員とても強いです!
VAMONOS ESQIAR MUCHO EN FUERA DE PISTA!!

画像1:急斜面のオフピステを落差を楽しむ
画像2:始終安定したオフピステ滑走
画像3:ブルーガイド編集長もエンジョイバックカントリー!

エスコート:水澤 史

2012年09月01日  南米




南米スキー5日目 晴れ、気温−2度〜+4度
今日は朝一番でフリー滑走後、恒例のフェローカップを開催しました。参加者全員が果敢にポールにアッタクしていました!自己申告制なので誰にでも勝つチャンスがあるのがフェローカップの特徴。
空気が薄い中でのポールチャレンジは緊張感が計測している私達にも伝わってきました。
結果はかなりの人が自己申告タイムと実走タイムが近く混戦となりました。
それでは南米フェローカップの様子をご覧下さい。

画像1:果敢にアタックでかなり速い
画像2:余裕のラインどりで速い
画像3:USチームのトレーニング(番外編)

エスコート:水澤 史

2012年09月01日  南米




南米スキー4日目(8月27日)スキーガイド終了後
天気は晴れ、南米スキーのイメージ撮影の様子

今日はお客様のスキーガイド終了後、午後から夕刻は南米スキー(アンデス山脈でのスキーメージ)を伝えられるよう撮影をしました。
今回、南米視察に参加してもらっている渡辺一樹さんとチリスキー教師のパタン氏に協力をお願いして行いました。広大さと5400mのプロモ山をバックにアンデス山脈の奥深さ(南北はコロンビア〜ペルー〜パタゴニア北まで、東西はアルゼンチンアンデスまで)での広大な山脈です。ヨーロッパアルプス、カナディアンロッキー、サザンアルプスとも違う景観が魅力です。
撮影協力、皆様本当に有難うございました!
ツアー参加者の声がほとんど世界遺産マチュピチュとワイナピチュに登るのがツアーを選んだ理由とのこと。スキー場の規模はまったく期待していなかったという方も!しかし、この規模は南半球最大です。
スキーに占めるポイントも絶対大きいのです。
余談ですがアンデス山脈の夕刻時の約30分〜45分にこれだけ山肌が真紅色やピンクになるのは岩質が特殊からなのです。世界中のスキーエリアでこれだけの夕景は見たことがありません。これも南米スキーならではの絶景です。この時間にゆったりと飛来するコンドル(チリの国鳥)も見ることができました。
明日は、エルコロラード〜ファルジョーネスへの遠足です。

画像1:氷河を頂くプロモ山をバックに
画像2:連なるアンデス山脈、遠くは太平洋
画像3:アンデスの高山が夕景に染まる一瞬

エスコート:水澤 史

2012年08月29日  南米スキー&マチュピチュの旅2012




今日は南米スキー4日目です。8月27日(月)気温−2度〜+3度 とっても晴天
バジェネバドに隣接する広大なラ・パルバスキー場へ遠征してきました。北半球の諸国から各ナショナルチームが高速系のトレーニングをしています。
スペイン、イタリア、ドイツ、フランスなどです。
これだけの標高差と滑走距離が稼げるので南半球NO.1といわれる所以です。
参加者全員がバジェネバドからラ・パルバまでオンピステ、オフピステと好きなルートを滑走して到着です。このエリアの山塊も古代は海底が隆起した地質なので化石が多数見つかるとのこと。
このラ・パルバがすごいのは数年前から開放された広大、長距離のオフピステエリアが滑れることです!
参加者もこの滑走距離の長さと広大な斜面にすっかりと圧倒されていました。降雪に恵まれればヘリスキー以上の満足感を体験させてくれます。
相当滑った後は、全員でチリサーモンかチリ地鶏のランチを満喫されていました。チリ料理の味付けは少し物足りないくらいなので、日本人にはぴったりです。
ランチ後もまだまだ滑る組、バジェネバドに戻る組に分かれてラ・パルバスキー遠征がまだまだ続きます。
MUY CANSADO!本当にお疲れ様でした。
画像1:バジェネバドからラ・パルバまで気持よい朝    一滑走
画像2:ラ・パルバの広大な話題のオフピステ
画像3:チリサーモンのビックプレート
エスコート 水澤 史




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